【 人間の人生は「自力」か「他力」か 】

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仏教的な考えにこのようなものがあります。

それは、

『人生とは「自力」か「他力」か』

というものです。

簡単に言いますと、自分の一生を自力で生きていくのか?
それとも何かに頼りながら生きていくか?

となるでしょう。

現在の日本仏教では、「他力」の考えが強いです。

日本においての檀家が一番多いとされる浄土真宗

この宗派は、阿弥陀如来の本願力を『信じる』ことで
往生(極楽浄土にいける)するという「絶対他力」の立場をとります。

この考え方は非常に合理的であり、多くの人が救われる
ということで素晴らしいものだと思っています。

しかし私は、その考え方をとらずに「自力」の道で自分の
自己努力のもとに生きていこうという道を選んでいます。

言うなれば、

釈迦が説いていたとされる原始仏教の考えに基づく生き方』

ということになります。

釈迦

釈迦は、自己努力のもとに修行をし現世で苦しみから
解放されることを大切にしていました。

なので、釈迦の考えとは現世でどのように生きるかが
大事なのであり、死後のことはほとんど述べていないのです。

釈迦は、弟子から「死後はどうなるか?」を問われてても
一切答えなかったと言われています。

『そのようなわからないことを考えるよりも、現世で善い行いを
 しなさい』

そう考えていたものと私は推測しています。


ここからは私の持論です。

仏教ではブッダ(覚った人)は釈迦のみとされています。

しかし、それはどうか?私は思うのですね。

『覚りの定義というのがきちんとなっていない状態では、
 釈迦と同じ状態まで行けた人は過去いくらでもいる』

と考えられます。

つまりは、「覚る」と言う境地は人それぞれに違うと
言える気がするのです。


私としては、自己修行(自己鍛錬)のもとに自分なりの
「覚り」の境地まで行き、そして天寿をまっとうしたい。

そのためには沢山の努力が必要ですが、
その努力をすることを惜しまない。

そのように考えている次第です。


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【「苦」を「楽」に変えるのが、本当の人生 】

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明日は、仕事が休みの日です。

GW後3日間働きましたが、結構天候に左右されました。

初夏のような暑さになったり、一転して3月くらいの寒さになったり・・・
ほんと、体調管理には大変でした。

でもまぁ、精神的な状態はよく体調もまずまずです。

明日はゆっくり身体を休め、休日を楽しみたいと思います。



さて、仏教での言葉に、

『一切皆苦』

というものがあります。

簡単に意味を申しますと、

「すべてのものは苦しみである」

となります。

しかし、この訳し方には少々御幣があるので、私なりに
変えてみると、

「世の中とは思い通りにはいかないものである」

となります。

そうなのです。世の中とは思い通りには進まないもの
なのですね。

『あぁ、なんで自分は思い通りの人生を進めないんだ』

などと嘆くことが多いですが、それが実際の現実なのです。


『じゃ、思い通りにいかないまま受け入れればいいのか?』

と言うとそれは違います。

釈迦はこう説きました。

釈迦


『人間は苦なる存在である』

と。
(そして、四苦八苦 を説きました)

しかし、釈迦が修行して悟ったのは、その苦しみから解放
されることだったのです。

私のような凡人では釈迦の足元にも及びませんが、
釈迦が言いたかったことはわかります。

それは、

『苦である人生を乗り越え、楽になるのが本当の人生だ』

そう言っているのだと思います。

普通のまま何も努力せずに過ごしていると、苦ばかりなのが
現実です。

しかし、悟りを得なくても「苦を楽に変える方法」というのは
あるのではないでしょうか?


苦を苦のままにしていてはいけないです。今自分の目の前にある
「苦」から「楽」に変えるにはどう対処すればよいのか?

それを、試行錯誤しながら努力して答えを出す。

それが、

『人生の目的』

ではないでしょうか?


今目の目にある「苦」に落胆して、落ち込んでしまってはいけません。

すべての「苦」は、人生における試練なのです。

冒頭に述べた「一切皆苦」を「一切皆楽」にしていくこと。

それがすなわち、人生を渡って行くということなのだろうと
思う次第であります。



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【 日本人は、もっと物事の本質を知るべき 】

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毎年この時期になると思うことがあります。

それは、

『イースター(復活祭)』

のことです。

復活祭というのは、十字架にかけられて死んだイエス・キリストが
3日後に復活したことを記念する、キリスト教のなかで最も重要な
祭りであります。

復活祭の日付けはクリスマスと違って毎年変わりますが、
こう定められています。

『春分の日の後の最初の満月の次の日曜日』

であると。

では、今年(2017年)はどうかというと、2017年は3月20日が
春分の日ですので、一番近い満月は4月11日。
そこから最初の日曜日は4月16日(日)ということになります。


っとここまで淡々と述べてきましたが、「お前は一体何を言いたいのだ」
と言われそうなので本題に入ります。

要するには、

その今年の4月16日に、メディアなどで復活祭のことを伝えた
報道があったでしょうか?ということなのです。

私が知る限り、日本ではなかったと思います。

クリスマス。当然、イエス・キリストが誕生した日ですが、
日本ではクリスチャンでもない人たちが「メリークリスマス!」
とか言ってバカ騒ぎをします。

その日が何の日かわからないまま・・・

つまりです。理屈上から言えば、イエス・キリストが誕生した日に
お祝いをするならば、「イースター(復活祭)」もきちっとお祝い
しなければいけないのですね。

しかし、あれだけクリスマスとバカ騒ぎする日本で、4月16日に
イエス・キリストが復活した日だと知っている日本人が
どれだけいるのでしょうか?


物事には本質というものがあります。真実と言ってもいいでしょうか。

その本質をきちんと知って他の民族や宗教の祭りを取り入れるなら
いいのですが、そうではなく上っ面のいいところだけを見つけ、
そこだけに注目し祭りにしてバカ騒ぎをする。

そういうことは言語道断だと思うのです。


物事の本質を見定める(見極める)ということは大事です。

しかし、どうも日本人というのは上っ面だけを見て根っこを
見ないという性格(性質)があるような気がします。

「そういうことではいけないよな」
とひっそりと思う次第なのであります。


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【 祈り、拝むということ 】

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私は昔から、スピリチュアル的 なことは信用していません。

神も存在しませんし、死後の世界もない。
そのように考えています。

なので、神社や寺で祈ったり拝んだりすることは
まったくしてきませんでした。

しかし、

最近、その考え方が変わりつつあります。

確かに、神は存在しないし○○如来とか○○菩薩というものが
何かをしてくれるとは思っていません。

でもです。

『祈るとか拝むという行為は、それ自体が尊いのではないか?』

そう思ってきたのです。

なので、

祈ったり拝んだりすることでご利益を得ようとしてはいけない。
ただ、自分の気持ちを落ち着かせ、平常心を保つためには
その行為は非常に重要である。


そう考えます。


『自分の利益を求めてはいけない。大事なのは、ただ祈る
 ということだ』


その考えのもと、しばらくしたら厄除けに行ってこよう
と思っています。


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今回は以上です。 閲覧ありがとうございました。

【 宗教 】

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私は無宗教の人間であります。
今後、どの宗教にも帰依するつもりはありません。

しかし、

仏教にだけは興味があるのですね。
厳密に言うと、仏教で説いていることに。

私的には、仏教は宗教であるけれども哲学でもある
と考えています。

人間はどう生きるべきか。
人間はどのように成長していくべきか。

そういうことを教えてくれると思ってます。

しかし、仏教で一番いいのはこれです。

それは、

『神という存在が出てこないこと』

であります。

私が一神教など神を信じる宗教が嫌いである理由は、
神の存在がある無しに関わらず、神を信仰する宗教は
原則他の宗教を認めないところがあるからです。

世界宗教と言われるキリスト教とイスラム教。
(ユダヤ教も含む)

過去、どれだけ必要のない争いをしてきたか。


アメリカの大統領に、ドナルド・トランプ氏が就任しました。
アメリカとはキリスト教の国(主にカトリック)であり、
大統領の就任式でも聖書に手をのせて宣誓します。

キリスト教信者というのは、基本的にイスラム教を
認めていません。

だからトランプ氏の大統領令で、イスラム教圏の国の
アメリカへの入国を禁止しようとするのです。


このように、神が出てくると一々ややこしくなるのですね。
私からすれば、唯一神であればキリスト教の神も
イスラム教の神も同じだと思うのですが、事はそんな
簡単には収まりません。

ゆえに私は、神が出てこない仏教というのを好む
のであります。

しかし仏教の世界でも、神を信じるような宗派が存在
するのも事実です。

阿弥陀仏を信仰する。また、特定の仏を信仰する。
これは、その仏が神の立場として君臨することと
同じであると考えます。

仏教の祖である釈迦は、そういう特定の仏を信仰する
ということを説きはしませんでした。

つまり釈迦の教えは、「人間が現世でどのような善行を
行い、修行をして悟りをひらく(解脱する)」ということを
大事にしていたのです。

当然ながら、釈迦の考えには死後の世界というものも
ありません。
(弟子たちにどれだけ死後のことを聞かれても、
 無記を通した)

釈迦が大事にしていたのは、現世でどのように生きるか?
ということです。

最後に、仏教には五戒という戒めがあります。

五戒とは、

・不殺生戒(ふせっしょうかい) - 生き物を故意に殺してはならない。
・不偸盗戒(ふちゅうとうかい,) - 他人のものを故意に盗んではいけない。
・不邪婬戒(ふじゃいんかい,) - 不道徳な性行為を行ってはならない。
・不妄語戒(ふもうごかい) - 嘘をついてはいけない。
・不飲酒戒(ふおんじゅかい) - 酒などを飲んではいけない。

今現在の日本の僧侶で、この五戒をきちっと守っている人がいる
でしょうか。

いるとは思います。しかし、多くの僧侶はもはや五戒を破っている
というのが現実でしょう。

私は、僧侶は結婚してはいけないと思っています。
さらに、自分の子供に寺を継がせる。そういう世襲制度であっては
ならないと思っています。

肉を食べ酒を飲むのであれば、僧侶を辞めるべきです。

そういうことを考慮すると、日本仏教界はもはや堕落している
と言わざるをえません。

現実的なところでは、寺を存続させなければならないという
苦労もあるでしょう。

しかし、寺は企業ではなくビジネスをするところでもないのです。
高い戒名代や布施を要求する。もはやそういう寺は仏教では
ない。

そう思う次第です。


今回は以上です。 閲覧ありがとうございました。
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