【 日本人は、もっと物事の本質を知るべき 】

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毎年この時期になると思うことがあります。

それは、

『イースター(復活祭)』

のことです。

復活祭というのは、十字架にかけられて死んだイエス・キリストが
3日後に復活したことを記念する、キリスト教のなかで最も重要な
祭りであります。

復活祭の日付けはクリスマスと違って毎年変わりますが、
こう定められています。

『春分の日の後の最初の満月の次の日曜日』

であると。

では、今年(2017年)はどうかというと、2017年は3月20日が
春分の日ですので、一番近い満月は4月11日。
そこから最初の日曜日は4月16日(日)ということになります。


っとここまで淡々と述べてきましたが、「お前は一体何を言いたいのだ」
と言われそうなので本題に入ります。

要するには、

その今年の4月16日に、メディアなどで復活祭のことを伝えた
報道があったでしょうか?ということなのです。

私が知る限り、日本ではなかったと思います。

クリスマス。当然、イエス・キリストが誕生した日ですが、
日本ではクリスチャンでもない人たちが「メリークリスマス!」
とか言ってバカ騒ぎをします。

その日が何の日かわからないまま・・・

つまりです。理屈上から言えば、イエス・キリストが誕生した日に
お祝いをするならば、「イースター(復活祭)」もきちっとお祝い
しなければいけないのですね。

しかし、あれだけクリスマスとバカ騒ぎする日本で、4月16日に
イエス・キリストが復活した日だと知っている日本人が
どれだけいるのでしょうか?


物事には本質というものがあります。真実と言ってもいいでしょうか。

その本質をきちんと知って他の民族や宗教の祭りを取り入れるなら
いいのですが、そうではなく上っ面のいいところだけを見つけ、
そこだけに注目し祭りにしてバカ騒ぎをする。

そういうことは言語道断だと思うのです。


物事の本質を見定める(見極める)ということは大事です。

しかし、どうも日本人というのは上っ面だけを見て根っこを
見ないという性格(性質)があるような気がします。

「そういうことではいけないよな」
とひっそりと思う次第なのであります。


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今回は以上です。 閲覧ありがとうございました。
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【 祈り、拝むということ 】

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私は昔から、スピリチュアル的 なことは信用していません。

神も存在しませんし、死後の世界もない。
そのように考えています。

なので、神社や寺で祈ったり拝んだりすることは
まったくしてきませんでした。

しかし、

最近、その考え方が変わりつつあります。

確かに、神は存在しないし○○如来とか○○菩薩というものが
何かをしてくれるとは思っていません。

でもです。

『祈るとか拝むという行為は、それ自体が尊いのではないか?』

そう思ってきたのです。

なので、

祈ったり拝んだりすることでご利益を得ようとしてはいけない。
ただ、自分の気持ちを落ち着かせ、平常心を保つためには
その行為は非常に重要である。


そう考えます。


『自分の利益を求めてはいけない。大事なのは、ただ祈る
 ということだ』


その考えのもと、しばらくしたら厄除けに行ってこよう
と思っています。


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今回は以上です。 閲覧ありがとうございました。

【 宗教 】

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私は無宗教の人間であります。
今後、どの宗教にも帰依するつもりはありません。

しかし、

仏教にだけは興味があるのですね。
厳密に言うと、仏教で説いていることに。

私的には、仏教は宗教であるけれども哲学でもある
と考えています。

人間はどう生きるべきか。
人間はどのように成長していくべきか。

そういうことを教えてくれると思ってます。

しかし、仏教で一番いいのはこれです。

それは、

『神という存在が出てこないこと』

であります。

私が一神教など神を信じる宗教が嫌いである理由は、
神の存在がある無しに関わらず、神を信仰する宗教は
原則他の宗教を認めないところがあるからです。

世界宗教と言われるキリスト教とイスラム教。
(ユダヤ教も含む)

過去、どれだけ必要のない争いをしてきたか。


アメリカの大統領に、ドナルド・トランプ氏が就任しました。
アメリカとはキリスト教の国(主にカトリック)であり、
大統領の就任式でも聖書に手をのせて宣誓します。

キリスト教信者というのは、基本的にイスラム教を
認めていません。

だからトランプ氏の大統領令で、イスラム教圏の国の
アメリカへの入国を禁止しようとするのです。


このように、神が出てくると一々ややこしくなるのですね。
私からすれば、唯一神であればキリスト教の神も
イスラム教の神も同じだと思うのですが、事はそんな
簡単には収まりません。

ゆえに私は、神が出てこない仏教というのを好む
のであります。

しかし仏教の世界でも、神を信じるような宗派が存在
するのも事実です。

阿弥陀仏を信仰する。また、特定の仏を信仰する。
これは、その仏が神の立場として君臨することと
同じであると考えます。

仏教の祖である釈迦は、そういう特定の仏を信仰する
ということを説きはしませんでした。

つまり釈迦の教えは、「人間が現世でどのような善行を
行い、修行をして悟りをひらく(解脱する)」ということを
大事にしていたのです。

当然ながら、釈迦の考えには死後の世界というものも
ありません。
(弟子たちにどれだけ死後のことを聞かれても、
 無記を通した)

釈迦が大事にしていたのは、現世でどのように生きるか?
ということです。

最後に、仏教には五戒という戒めがあります。

五戒とは、

・不殺生戒(ふせっしょうかい) - 生き物を故意に殺してはならない。
・不偸盗戒(ふちゅうとうかい,) - 他人のものを故意に盗んではいけない。
・不邪婬戒(ふじゃいんかい,) - 不道徳な性行為を行ってはならない。
・不妄語戒(ふもうごかい) - 嘘をついてはいけない。
・不飲酒戒(ふおんじゅかい) - 酒などを飲んではいけない。

今現在の日本の僧侶で、この五戒をきちっと守っている人がいる
でしょうか。

いるとは思います。しかし、多くの僧侶はもはや五戒を破っている
というのが現実でしょう。

私は、僧侶は結婚してはいけないと思っています。
さらに、自分の子供に寺を継がせる。そういう世襲制度であっては
ならないと思っています。

肉を食べ酒を飲むのであれば、僧侶を辞めるべきです。

そういうことを考慮すると、日本仏教界はもはや堕落している
と言わざるをえません。

現実的なところでは、寺を存続させなければならないという
苦労もあるでしょう。

しかし、寺は企業ではなくビジネスをするところでもないのです。
高い戒名代や布施を要求する。もはやそういう寺は仏教では
ない。

そう思う次第です。


今回は以上です。 閲覧ありがとうございました。

【 只管人生(しかんじんせい)】

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日本における、曹洞宗 の開祖である 道元禅師
その道元禅師が大切にしていたことがあります。

道元


それは、

『只管打坐(しかんたざ)』

です。

その意味は、なにも余計なことを考えずにただひたすらに
座禅を組む、ということです。

修行僧はこのようなことを思います。

・どうやって修行をすればいいのだろう。
・なんのために座禅を組むのだろう。
・悟りを開くにはどのようにすればよいか。


等々。

しかし、道元禅師は迷わずこう言いました。

『只管打坐(ただ、ひたすら座禅を組め)』

と。

道元禅師がどのように考えていたかはわかりません。

しかし私が考えるには、「余計なことを考えずに座禅を組む。
そのことに集中しているはるか先に、何かが見えてくるのだ」。


そのように思っていたような気がいたします。


ならば、生きていくにはどうすればいいのでしょう。

これは一つの提案ですが、

『只管人生(しかんじんせい)』

であるのではないでしょうか。

・人生の目的や生きる意味など考えず、ただひたすら生きる。
・余計なことを考えず、今やることのみに集中する。
・迷わず恐れずに、ひたむきに生きる。


そういうシンプルさが、生きること(人生)には必要なのかも
しれません。



以前にもご紹介しましたが、この禅語も同じ意味を持っている
と思います。

それは、

『莫妄想(まくもうそう)』

です。

この言葉は、「過去に囚われず、未来を思い悩まずに、ひたすら
今自分がやることに集中する」。

という意味です。


人間は、過去のことも未来も変えることができません。
変えられるのは、「今」のみであります。


ならば、「大事なのは今自分が何をするか」ということです。

そう言っている私ですが、なかなか今だけに集中することは
難しいことです。

でも、これも訓練なのかもしれません。

しばらくの間、「只管人生」と「莫妄想」に力を注ぎ、自己鍛錬
していこうと思う次第です。



≪今回のクワばな≫
12月1日。下記のオオクワガタの♂の蛹が羽化しました。

Absolute(アブソルート)血統 オオクワガタ

Absolute 早期羽化♂


今年取れた幼中ですので、完全な早期羽化となります。
なので、体長は現在72㎜くらいです。しかし、顎基部幅
は5.8㎜あります。

頭幅がいまいちなので超極太とは言えませんが、早期
にしてはまずまずの個体が羽化してきたと思います。

そしてなにより、完品羽化なのが嬉しいですね。
これで、27gアップしている兄弟たちが楽しみになって
きました。


今回は以上です。 閲覧ありがとうございました。

【 日常生活を大切に 】

~今回もブログにアクセスいただき、ありがとうございます~


最近私が思うに、日々を過ごしていくことにおいて最も大事
と言えることは、これだと思っています。

それは、

『日常生活を大切にすること』

です。

夢をみることがあるでしょう。また、自分はこうなりたいという
ことだってあるはずです。

しかし、そういう遠くの方を見据えるよりも身近な生活を大切にし、
それを懸命にこなしていく。

それが、日々を充実させる術であるような気がしています。

私と同じような考えをされた方では、この方がおられます。
(私と同列にするには恐れ多いですが)
日本における 曹洞宗 の開祖の 道元禅師 であります。

道元

道元禅師は当然座禅を組むことを大切にしていますが、
色々な著書のなかには日々の生活のあり方について
語っておられます。

それは、食事や掃除の仕方。そして、トイレの所作にまで
及んでいます。

では、何故道元禅師はそういうことを大切にせよと説いた
のでしょうか?

私が思うに、日々の生活をきちんとすること。それこそが、
修行の一つだと考えていたのであろうと推測します。


また、道元禅師は「只管打坐(しかんたざ)」を大切にしていました。

只管打坐とは、余念を交えずにただひたすら座禅すること
であります。

なにかのために座禅するのではない。ただ、ひたすら座る
のです。

そこには、何の目的も存在しません。
ただ、一つ挙げるとしたならば「無」になるということでしょう。

なにも考えずに「無」になる。非常に難しいことでしょうが、
それこそが「禅」ということなのだと思います。


以前の記事でも書きましたが、仏教において大切にされて
いることに「諸法無我」という考え方があります。

その意味は、全てものは実体のないものであり人間すらも
「我」を持たない「無」であるということです。

全てが「無」である存在の人間が、欲望を持つことは
ありません。

しかし、今の日本仏教界の僧侶たちを見ると、「無」でなく
煩悩の塊だと言えるでしょう。

酒を飲み肉を食べる。結婚はいいとしても愛人さえつくる
僧侶も多く存在する。

完全に堕落していると思います。

私は、寺を世襲にすることにも反対の立場をとっています。

檀家を守っていく寺の住職が世襲でいいのか?
いいはずはありません。

修行などろくにしないで寺を息子が継ぐ。そんなことでは、
ますます日本仏教界は堕落してしまいます。

仏教のいいところは、固定観念に執着せずにその時代に
合わせて変化していくところだとは思っています。

しかし、酒を飲んで肉を食べる住職は、もはや僧侶とは
言えないです。

葬式仏教と化した日本仏教ですが、五戒 くらいは守ってほしい
と思うところであります。

最後に、

戒名を得るだけで何百万円も請求する。
そんなビジネスと化した日本仏教界は、もはや釈尊の存在すら
忘れていると言える気がします。

凡人である私が言うのもなんですが、非常に情けない限りだと
思う次第です。


今回は以上です。 閲覧ありがとうございました。
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