【 粗にして野だが卑ではない 】

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今回のお話しは、私が父親から教わった言葉に関してです。

私がまだ小さい時に父親はこう言いました。

人間とは、
『粗であっても卑であるな』

なんだぞ、と。

その頃は私もほとんど理解できていませんでしたが、
今なら理解ができます。

本当の言葉はこう言うそうです。

『粗にして野だが卑ではない』

と。

言葉の意味ですが、

・外見や言葉遣いが洗練されず粗野に見えるとしても、
 考え方に筋が通っていて、卑なことは決してしない人のこと。


を言います。

卑である人間とは、

・嘘をつき、人を騙す。
・人を利用して利益を得ようとする。
・強いものにこびへつらい、他人をおとしめ自分が上がろうとする。


そういう行為をする人のことを言います。

立派なスーツを着こなし、社会的地位がある人でも
心卑しい人間は世の中にたくさんいます。

しかし、そういう外見や地位で人を判断してはいけないのですね。

大切なのは、きちんとした筋の通った考え方をしているか。
そして、人間的に成熟しているか。

なのであります。

少々言動が粗野な人でも、立派な方はたくさん存在します。
 
我々人間というのは外見や地位で人を判断せず、
きちんとした内面を見ていかねばならない。

そして、自分自身も心卑しい人間にならないよう
人間性を高めていく必要があると思う次第であります。



今回は以上です。 閲覧ありがとうございました。
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【 私を少なくし 欲を寡く(すくなく)せよ 】

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今回は、「老子」に関するお話しをしたいと思います。

老子


「老子」には多くの言葉がありますが、こういうものも存在します。

それは、

『私を少なくし 欲を寡く(すくなく)せよ』

というものです。

人には、自分をアピールしたいという自己顕示欲があります。

でも、それが適度ならいいですが、「私が・・・私が・・・」と
我が物顔で前に出てくると人は他人に嫌われてしまいます。

また、他人を支配しようとしたり、自分の考えを無理に相手に
押し付けようという行為はよくないことです。

また、人間の欲望には限りがない、ということをよく自覚
しなければいけないのに、世の中はこれでもか、これでもか、
と欲望を煽りたててきます。

もっと、もっとと欲望を得ようとすると、人は頑張り過ぎて
挙句の果ては疲れ切ってしまいます。


こう言う言葉も「老子」には存在します。

『少なければ 則ち(すなわち)得る』

というもの。

欲望の少ない人は、かえってものを得る楽しみを持つことができます。

でも、欲の深い人は、たとえものを得ても有り難いと満足する
ことがあまりありません。

それでは、何かを得ても楽しくはありませんよね。

やはり人とは、欲望を少なくし謙虚な心を持つことが大切なのでしょう。


ただ、欲望をすべてなくしていけないと思っています。

欲望とは何かを得ようという気持ちのことであり、それがあることで
人は目標を持ち成長することができるからです。

なので、欲望は最小限にし、不必要な欲望を持たない。
そのようにした方がいいと考えます。


ちなみに、

日本の曹洞宗の開祖である 道元禅師 の言葉に、「小欲」というものが
あります。

欲が少なくなれば、一切の心配はなくなる・・・という意味であります。


今回は以上です。 閲覧ありがとうございました。

【 行住坐臥 】

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今回は、禅語についての話です。

その言葉とは、

『行住坐臥(ぎょうじゅうざが)』

となります。

「行住坐臥」とは、日常の立ち居振る舞いや起居動作のことを言います。

仏教では、

行:行く(歩く)こと
住:止まること
坐:座ること
臥:ふせる(寝る)こと

が一切の行動の基本になるため、これを「四威儀(しいぎ)」
とよんで特に規律を定めました。

この言葉を禅で尊重するのは、日常生活の立ち居振る舞い、
すべての行動に規律と作法を忘れてはいけないということ
であるからです。

禅宗では、起きて顔を洗うこと、食事をいただくこと、歩くこと、
坐ることなど日常生活のすべてが修行であり、日常生活の
中にのみ仏道は存在していると考えます。

ゆえに、非日常的な荒行や難行から仏の道が開けるわけが
ないのであります。

日常の言葉にもなっている「威儀を正す」とは、自分の言動を
振り返り、礼儀や作法にかなった立ち居振る舞いや行動を
することを言います。

これは言い換えれば、「美しい生き方をしなさい」ということに
なります。

行儀の悪い、だらしない日常生活からは、決して美しい人生は
手に入りません。

時には自分の「行住坐臥」を振り返り、威儀を正す努力も必要
である。

そういうことなのです。


すべての行動や日常生活の立ち居振る舞いが修行や自己鍛錬の
基本であり、それらをおろそかにしてはいけない。

「行住坐臥」という禅語は、そういうことを言っているのでしょう。


今回は以上です。 閲覧ありがとうございました。

【 楽な人生を願い求めるな 】

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私がほぼ47年生きてきて思うこと。

それは、

『人生とは、決して楽しいものではなかった』

というものです。

しかし、私は自分自身が「楽な人生を選択」してきたからこそ、
楽しく充実した人生を送れなかったのではないか?
とそう思うのです。

このことを言い表した名言があります。

それは、ジョン・F・ケネディ が言った言葉ですが、

『楽な人生を願い求めるな。
 より強い人間になれるように願いなさい』


というものです。

私は、今まで岐路に立った時、すべて楽な生き方を
選択してきたような気がします。

だから、多くの挫折をしたし不甲斐ない失敗もしたのだ
と思います。

よく考えてみると、「厳しく険しい道」のは方が正しいことが
多いです。

しかし、それを選択して生きていくのはとても辛いです。

でもやはり、

『地道にコツコツと努力し、成功するのに時間がかかる』

そういう道の方が正しいのだと思います。


そして、名言の後の方の言葉。

『より強い人間になれるように願いなさい』

ですが、

厳しい道を進んでいくには、強い精神力が必要です。

・毎日同じことを続ける。
・自分の嫌なことでも受け入れる。
・辛くとも、やるべき仕事をきちんとこなしていく。

これらはすべて辛く苦しいものです。

でも、その厳しい道をあえて進んでいくことにより
人はより強い人間になれると考えます。


人間の人生には、2つのことがあるのでしょう。

一つ目は、

『決して安易な道を選ばず、辛くとも厳しい道を選択する』

そして二つ目は、

『辛くて厳しい道を選択し成功へと導くには、強い精神力を
 つくっていかなければいけない』

人生に王道などないのです。厳しく険しい道を淡々と進んでいく。
その覚悟というものが必要なのであろうと思います。



今回は以上です。 閲覧ありがとうございました。

【振り向くな、振り向くな、後ろには夢がない】

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人は、前を向いて生きていかねばなりません。
そのことを言い表した言葉があります。

それは、歌人で劇作家である 寺山修司 氏の言葉ですが、

『振り向くな、振り向くな、後ろには夢がない』

というものです。

おっしゃる通りで、どれだけ振り向いても後ろ(過去)には
夢はありません。

あるのは、終わった事実だけです。

私的には、「人は目標や夢が必要である」と思っています。

そして、その目標や夢は今この瞬間から先にあるものです。


当然、良くない過去に囚われるのはいけないことです。
それをいくら考えてもどうすることもできないからです。

しかし、私は良かった過去すらも忘れてしまった方がいい。
そう思っています。

私もそうですが、過去の「良かった時期」というのが
忘れられないというところがあります。

『もう一度あの頃に戻りたい』

そう思うのですが、当然ながらそれも不可能なことであります。


過去(後ろ)を振り向かず、常に前を向いて生きていきたいもの
であります。


今回は以上です。 閲覧ありがとうございました。
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