【 今年もありがとうございました 】

~今回もブログにアクセスいただき、ありがとうございます~


現在、12月31日の1時です。

昨夜は眠剤を服用せずに就寝しましたので、こんなに早く
起きてしまいました。

ついに、2016年の大晦日となりました。

今日は、妻も3ヶ月ぶりに休日です。
(3ヶ月も休日がないというのは、どういう会社なのか??)

しかし妻は、上州(群馬県)の女性です。
上州の女性は働き者で有名です。なんでそんなに働くの?
というぐらい働きます。

毎日忙しくて遅くに帰ってくる妻ですが、昨夜はこんなことを
言っていました。

『明日はやりたいことをやるぞ!掃除に洗濯。洗車に買い物。
やりたいことがもう一杯!! 』

って。

ほんと、たまの休みなのでゆっくりすればいいのですが、どうも
それができないようなのです。

妻がそういうふうに活動するなら、私もぼ~っとしていることは
できません。

やるつもりでなかった掃除を手伝い、たまには愛車も洗車して
ワックスでもかけようか、と思っています。


さて、来年は初詣を止めようと妻は言っています。

今年は初詣に行って、妻が車の自損事故をしてしまいました。
それが妻には頭に残っているのでしょう。

なので、来年は初詣はヤメです。

まぁ、信仰心というのがまったくない私ですから、初詣など
どうでもいいのですが・・・


また、私的に来年は鬱になるのが少ない年にしたいと
思っています。

それにはストレスを溜めない。不安になるようなことはしない。
というのが大切かと思っています。

『楽しく生きる』
というのが来年のスローガンです。

よい1年にしたいと思います。


今年も、ブログで繋がっている皆様にはお世話になりました。
また、コメントは頂かなくても閲覧してくださった方もおられます。
その方達にも御礼申し上げます。

来年も、ブログの形式は変えないようにやっていきます。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

よい新年をお迎えください。




≪今回の1曲≫
ディジー・ガレスピー で、『 Con Alma 』 です。

本年は、この曲で閉めたいと思います♪





今回は以上です。 閲覧ありがとうございました。
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【サイコパス】

~今回もブログにアクセスいただき、ありがとうございます~


私は今、この本を読んでいます。

著者:中野信子
~サイコパス~
【文春新書】

サイコパス


「サイコパスとは何ぞや」となりますので、説明します。

サイコパスとは、「良心や善意を持っていない人」のことを指します。
例えば、大量殺人を行う。無差別殺人や猟奇的な殺人を行う。
それでもサイコパスの人間というのは、まったく悪いという感情が
なく反省するということもないのです。

さらに、飢餓で苦しんでいる子供達の映像や戦争なので苦しんで
いる人々の映像を見てもなんの関心も持ちません。

こういう人間が、実際に存在するのです。

その割合は1%といいますから、100人に1人はいるという計算に
なります。

今年、神奈川県相模原市の障碍者施設で、19人もの方が
1人の男に殺されるという事件が起きました。
その男は、送検されるときの映像では笑みを浮かべていました。
まったく後悔もしてないし、当然反省などしていません。

この男はおそらく、サイコパスであると言えるでしょう。

私自身、この本を読むまでは簡単に猟奇的殺人を行う人物という
ことが信じられませんでした。

性善説ではないですが、そういう事件を起こしたら必ず反省し
悔い改めるものと信じてきました。

しかし、良心というものをまったく持たないサイコパスという人間が
実際に存在するのです。

非常に驚きました。

しかし、サイコパスな人間は、犯罪を犯すだけではありません。
犯罪を犯さずに普通に暮らしている人もいるのです。

そういう人間は、知り合いが辛い思いをしようが苦しい状況
になっても感情が動くことがありません。

そして問題なのが、そういサイコパスでない方を苦しみに
陥れるのがサイコパスな人間のすることであるのです。

身近な所で言うと、会社の経営者、弁護士、外科医など
大きな判断をしなければいけない立場の人間に多いと
言われています。

皆さんの会社の社長でも、なにも感情などなく簡単にパワハラを
行う人はいないでしょうか?

そういう方は一概に言えませんが、サイコパスである可能性があります。

著者である中野信子氏は脳科学者です。まだ、核心にせまるところまで
読んでいませんが、どうやらサイコパスの人間は脳機能に障害がある
ようです。

サイコパスな人間とはどういう人物か。どうすればサイコパスな人間を
見つけられるのか。

そういう部分に関心を持ちながら、読み進めようと思います。

また、なにか新しいことがわかれば記事にいたします。


今回は以上です。 閲覧ありがとうございました。
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【 人は、多少の「非」があった方がいい 】

~今回もブログにアクセスいただき、ありがとうございます~


人間、誰でも欠点などの「非」というものがあります。

その「非」を改めることができればいいですが、
これもなかなか難しいことです。

ですから私は、こう思っています。

『「非」は認めるだけで十分だ』

と。

「非」を認めずに自分が正しんだ、と思っている方は
困りものです。

話すことも高圧的になり、他人に不快感を抱かせてしまいます。

しかし、

「非」を認めている方は、そうはならないのです。
自分の「非」がわかっているから、その部分を自粛する。


なので私は、「非」は改めなくても認めているだけで十分だ、
と思うのであります。

そして、人には多少の「非」を持っていた方がいいという部分が
あります。

『毎回遅刻してくる』



『毎回同じ失敗をする』

これも嫌なものですが、その方が「ごめん。またやっちゃった!」
という謝罪だけで人は許してしまうところがあります。

要するには、人間は完璧な人間よりも多少の「非」がある方が
『可愛げ』があるということです。


人間、完璧で「非」のない人はあまり好かれません。
近寄りがたいのですね。


だから、人は多少の「非」があっていいと思うのです。

ただ、冒頭で述べましたように「非」を認めていることが条件に
なります。


私にも、どうしても改められない「非」というのがあります。

それは、「物事に集中するのはいいのですが、その後片付け
られない」というものです。

なので、いつも片付けは妻にやってもらうことになります。

妻も嫌だと思うのです。でも、「非」を認めて「いつもごめんな!」
と言えば、しょうがないなと許してくれると思うのです。
(ホントかな~~)


『人間は完璧でなく、多少の「非」があった
 方が いい』


と思う次第であります。


今回は以上です。 閲覧ありがとうございました。
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【 ただのつぶやき特集 】

~今回もブログにアクセスいただき、ありがとうございます~


今年もあと4日になりました。

世の中では師走と言いますが、私はなんにも走っておりません。
穏やかな日々を過ごしています。

体調も悪くない。不安もない。しかし、刺激もない。
そういう毎日ですが、なにか小さな幸せを感じています。


今年は不安になるのが多い年でした。

大きなものでは3つ程ありましたか。
いやぁ、ほんと苦しかったです。

なので、来年は不安の少ない年にしたいです。


来年は、春ぐらいにアパートの引越しを考えています。

今のアパートは2DK。しかし、すべての物が古すぎます。
サッシからは隙間風がじゃんじゃん入ってきます。
これでは、エアコンがあっても温度管理などできるわけがありません。

やはり、2LDK以上で築年数も新しいところがいいのではないか、
と妻と話しています。


なにもしてなくても困難というものはやってきます。
それは仕方がないです。世の中の現実なのですから。

しかし、自分で自滅するようなことはしたくはありません。
なので、悪い欲望などに手を出さずまっとうな生き方が
したいと思っています。

やはり、身の丈に合った生きた方をするのがいいのでしょう。

程々の幸せを感じつつ、穏やかな日々を送っていきたい。
そう思う次第です。


今回は以上です。 閲覧ありがとうございました。
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【 次の仕事が決まりました 】

~今回もブログにアクセスいただき、ありがとうございます~


だいぶ時間がかかりましたが、ようやく次の仕事が決まりました。
来年の1月4日から出勤となります。

前の仕事場でかなりパワハラを受けましたから、そのことが
多少心の中にまだ残っている部分もありますが、
その辺はもう忘れて前へと進もうと思います。

ただ、

新し仕事に挑むに際して、一つだけ気を付けようと思うことが
あります。

それは、

『・・・でなければいけない』

という考えを止めることです。

仕事とをしていくと理不尽なことが必ず出てきます。
しかし、「・・・でなければいけない」という考えを持っていると、
また会社とのトラブルになる原因となります。

『しなやかな心を持つ』

ということが大事なのだと思います。

柔軟な考え方のもと、今度は長く勤めていきたいと考えています。



≪今回のクワばな≫
下記のオオクワガタ♂幼虫の菌糸ビン交換を行いました。

Dゴールド系 川西オオクワガタ

【種親♂】
Dゴールド系 川西オオクワガタ

交換する幼虫は4つです。
最大体重であった幼虫の画像を掲載します。

川西オオクワガタ(12月27日交換)

(結果)
1)30.9g →32.1g
2)27.1g →29.5g
3)28.3g →29.2g
4)25.5g →26.1g


4幼虫とも増量しました。まずまずの結果です。
しかし、クワガタ飼育はこの終齢幼虫になってからが
大切になります。国産オオですから冬を体験させない
といけませんし、その後に暴れて減量することも多いに
考えられます。

慎重に飼育していこうと思います。


今回は以上です。 閲覧ありがとうございました。
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【 ある年末の朝のつぶやき 】

~今回もブログにアクセスいただき、ありがとうございます~


今回は、少々ネガティブな話しになります。

『お前、長生きしたいか?』

そう聞かれたらどうするか。

答えはNOであります。即答です。

人生とは苦しいものです。少なくとも四苦八苦の苦しみの中で
人間は生きているのです。

そんな苦しい人生をず~っと続けて長生きしたいとは
決して思いません。

ただ大事なのは、「与えられた人生はまっとうする」という
気持ちでしょう。

世の中は因果応報であり、何事も「因」があり「縁」によって
「結果」があります。

なので、私が今生きていることは何かしらの因(原因)が
あるのだと思います。

だからこそ、与えられた命は大切にしないといけませんし、
「命は何よりも重い」という意識は、決して忘れてはいけません。


話は変わります。

私は来年の抱負に、「楽しく生きる」を掲げました。

しかし実際のところ、「楽しく生きることができるのか?」
という不安があるのが事実です。

人生とは、

人間万事塞翁が馬

であり、

諸行無常

なのであります。

その現実をわかっていながら「楽しく生きる」のは、
なかなか難しいことかと考えられます。

しかし、

『人間、意地というのも大切だ!』

とも思っています。

だから、「苦しくても絶対楽しく生き抜いてやる」

という覚悟は必要でしょう。


話はまたまた変わります。

「生き下手」な私ですが、「生き上手」になりたいという
気持ちはあります。

しかし、現実の世の中を見渡すと「生き上手」な方は
「悪人でただ要領がいいだけ」ということも現実なのです。

ならば、総合的に判断するとどうなるか?

それはやはり、

『そうであっても、善人でありたい』

となります。

善人は苦労します。損をすることも多いです。
しかし、悪人になってまで自分の利益のために生きたい
とは思いません。

今までと同じでいいと思います。だって、もう47年間も
この性格で生きてきたのですから。

でも、でもです。

それでも、少しずつながらも「楽しく生きていきたい」
そういう気持ちも持っています。

来年も、いろいろな事が起こることでしょう。
しかし、今年よりは来年のほうが少しマシでありたいです。

「希望」は持っていたいです。「希望」を失ったら人生は終わりです。

「希望」を捨てないで、少しずつ良い人生を送っていくようにする。
それが、今私が望むことであります。



≪今回の文鳥≫
前にご紹介した文鳥のヒナですが、だいぶ大きくなりました。

クルミ

名前は、「クルミ」となりました。

セキセイインコの方も非常に馴れているのですが、手乗りでは
ありません。なので、クルミは手乗りにすべく慎重に育てています。

まだ私の手から餌をあげています。文鳥はインコより自分で
食べ出すまでの時間が長いです。でもまぁ、可愛いので許そう!!
と思っています。


今回は以上です。 閲覧ありがとうございました。
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【 良いふうに思い、それを言葉にする 】

~今回もブログにアクセスいただき、ありがとうございます~


最近、ある方にこんなことを言われました。

それは、

『今、自分が幸せと思うこと。そして、それを言葉にすることが
 大切だよ』


と。

この言葉、すぐには理解できませんでしたが、非常に大切な意味を
持っていることに気付きました。

まずは、自分の気持ちというのは、「苦しくて辛いと思えばそのように、
しかし自分は幸せで楽しいと思えばそうなっていく」

ということです。

人間には表層心理というものがあります。
言ってみれば、心の外側の部分というところでしょうか。

「自分は幸せで楽しい」と思うのは、その表層心理に
働きかけているのです。

しかし、そのことをずっと思い続けていると心の奥底の
深層心理に響くのであります。


一種の自己暗示のようなものですが、自己暗示でも幸せだと思うように
なればいいにこしたことはありません。

そしてさらに大事なことは、「自分は幸せで楽しい」と言葉に出して
言うこと。

前回の記事で申しましたが、身を動かすと心は動き出し始めます。
なので、物事を成就するためには「身を動かす(行動する)」ことが
大切です。


では、言葉は「身」であるのか?と言いますと、

「言葉」とはそもそも、「口」や「舌」ときに「下腹」という身体的な
部位を動かすことによって語られるため、実は私たちが思っている
以上に身体的な性質を持っているのであります。

ゆえに、多少辛くても「自分は幸せで楽しんだ!」と思って言葉に
していると、それが脳を刺激して心がそのように動き出すのです。



私自身のことを申せば、「常に前を向いて頑張っていこう!」という
考え方は好きではありません。

ときには足元を見つめたり、ときには過去にさかのぼって反省する
ことも必要だと考えているからです。

しかし、原則的な部分では「人は前向きでいること」が大切だと
思っています。

なので今回書きましたように、「自分は幸せで楽しい」と思い
それを言葉にしていきたいと考えている次第であります。


今回は以上です。 閲覧ありがとうございました。
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【 楽しく生きることについて 】

~今回もブログにアクセスいただき、ありがとうございます~


本日、連投稿になります。


ウィリアム・ジェームズ の名言にこの言葉があります。

『楽しいから笑うのではない。笑うから楽しいのだ』

といういもの。

このこと、ただの言葉遊びではありません。
実際に証明されていることなのです。

そして、私自身が少々手を加えるとと、

『幸せだから楽しいのでない。楽しく生きるから幸せになるのだ』

となります。


すなわち、現代の心理学的に認められる事実を明記すると
こうなります。

人間の「心」(心理状態)と「身」(身体的行為)とは、実は
表裏一体のものであり、人間には「心が動く→身が動く」
という性質だけでなく「身が動く→心が動く」という性質も
同時に存在する。

というのです。

例えばある人が、「これからあなたの人生にとってとても
大切な話をしましょう」と言ったとします。

すると我々は、誰もが自然にまず「体の姿勢」を整えます。
背筋を伸ばす、手を前で組む、椅子の座り方を正すなど
まず「体の姿勢」を整え、そのことにより「心の姿勢」を
整える、ということを行います。

何故なら我々は、「身」を整えることによって「心」も整う
ということを経験的に知っているからであります。

人間の「心」というものをある状態にするためには、
「心」そのものに直接働きかけるよりもまず、「身」に
働けることが「心」の状態を変える最も効果的な
手法です。


だから、冒頭に申し上げた

『幸せだから楽しいのでない。楽しく生きるから幸せになるのだ』

というのが、幸せを得るためには正しいやり方だと考えている
わけです。


ただ、「楽しく生きる」というのは、そう簡単なことではないです。

特に私は、どちらかというと悲観主義者でありネガティブな思考
の持ち主であります。

その私が、苦しい時や辛い時に「どうやって楽しく生きていけば
いいのか?」というのは、これから試行錯誤していくことになるでしょう。

しかし、たとえ楽しく生きていけなくても「楽しく生きよう」と思うことは
大切な気がします。


「心」とは、脳がそう考えた風になっていく。という部分があります。

なので、まずは「楽しく生きる」ことを心掛ける。
来年は、そういうところから始めたいと思います。



≪今回の1曲≫
ボブ・ディラン で、『 Just Like a Woman 』 です。





今回は以上です。 閲覧ありがとうございました。
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【 日本でのクリスマスについて異議あり(問題提起)】

文字色~今回もブログにアクセスいただき、ありがとうございます~


毎年言っていることですが、今年も言わせていただきます。

それは、

『何故、日本人がメリークリスマスなのか?』

ということです。

まずは、クリスマスとはどういうものなのか?ですが、

それは、

『クリスマスとは、イエス・キリスト の降誕(誕生)を祝う祭である』

のであります。

つまりは、キリスト教徒が神であるイエス・キリストの誕生日を
お祝いする祭りなのです。


では、日本におけるキリス教徒はどれぐらいいるのでしょうか?

実際には、 「人口の1%程度」と言われています。

それであるのに、何故日本という国はクリスマスを祝うのでしょう?
私には、まったく理解できない部分であります。

日本という国は、

初詣で神社に行き、葬式では仏教の力を借りるという、異例の文化を
持つ国です。

でもまぁ、日本の歴史上のことを考えると、神仏を同時に信仰すると
いうのは仕方がないでしょう。

しかし、

『キリスト教徒でもないのに、メリークリスマスはないんじゃないですか?』

とどうしても思ってしまうのですね。

日本は明治維新後、欧米の文化を惜しみなく取り入れてきました。
その取り入れ方は、非常に道理に合ってない部分もありました。

しかし、日本はそういう欧米の文化を取り入れることで成長した
と言っても過言ではありません。

しかし、ある欧米人がこのようなことを言っていました。

『日本(日本人)というのは、根っこの部分は関係なく上っ面だけを
 うまく取っていく国だ』


と。

おっしゃる通りだと思います。今の日本のクリスマスとは、クリスマス
とは何ぞやという根っこの部分をまったく無視して、いいところだけ
を取り込んでいる状態なのです。


このことは、最近流行してきた ハロウィン にも同じことが言えます。

『ハロウィンで騒いでいる方の中で、ハロウィンという祭りの意味を
 きちんと知っている人はどれくらいいるのか?』

『はっきり言って、ケルト人 というものを知っているのか?』


そう私は思います。


最後に、日本人がクリスマスを祝うならば、きちんと 復活祭
祝わないといけない。

そう思う次第です。




≪今回の1曲≫
エイミー・ワインハウス で、『 Valery 』 です。





今回は以上です。 閲覧ありがとうございました。
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【 人間はいろんな人格を持っている 】

~今回もブログにアクセスいただき、ありがとうございます~


最近、こういうことを思っています。

『人間は、理想的な人物を目指さなくてよい』

そして、

『人間は、統一的 な人物になる必要はない』

と。

私もそうですが、人生の目的の一つに「人間を磨く」
「人格を高める」というものがあります。

その過程で、古典などを読んで「理想的な人物」になるよう
修練していく方法をとる場合があります。

しかし、その方法は誤っているということを最近思うように
なったのです。

何故そう思うようになったのか?

一番大きな要因はこれです。

『人間の人格は一つではない』

ということです。

人間とは、二つ以上の人格を持っている場合が多いです。

特にこの二つ、

『善の部分と悪の部分』

この二つを持ち合わせているのは、世の中を生きていくには
当然のことであります。

「悪」、これは厳しい世の中を渡っていく術です。

例えば、このような人がいます。

家では非常に子煩悩。そして、家族にも優しい。
しかし、こと仕事になると非常に厳しく冷酷(冷徹)な部分を見せる。
特に営業をされている方は、そういう部分がないと成績を
伸ばすことができません。

最初の部分は「善」であるでしょう。
しかし、後の部分は見方によれば「悪」となりますが、
はたしてこの「悪」の部分をなくす必要があるでしょうか?

答えはNOであります。

私が考えるには、この方は「善の部分」と「悪の部分」の両方を
活かしていく必要があると思います。

つまり、人間とは一つの人格ではなくいろんな人格を持ち合わせて
いるのです。


要するに人間とは、「多重人格」な動物であると言えるでしょう。


人間は、宗教家でない限り聖人君子になる必要はありません。
(宗教家の方が、煩悩の塊のような人が多いのが現実ですが・・・)

そして、冒頭で述べたように統一的な人格になることも良くないです。

つまり、人間が「人間を磨く」「人格を磨く」というときには、
たくさんの人格(少なくとも2つ)を高めていかなければいけないのです。


だからこそ、「人間を磨いて人格を高める」ということは難しいのです。

あまりにも難しいことなので、まずは自分の人格というのを認める
ところから始めてもいいような気がいたします。



≪今回の1曲≫
ザ・スミス で、『 Miserable Lie 』 です。





今回は以上です。 閲覧ありがとうございました。
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うめぞー(又はテツ)

Author:うめぞー(又はテツ)
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