【 中道であること 】

~今回もブログにアクセスいただき、ありがとうございます~


自分の生き方や死んだ後のことを考える時、二つの進む方法があります。

それは、

『自力か。それとも他力か』

というものです。

仏教を学んでいくようになると、どうしてもこの二つのことを
避けて通ることはできません。
(私自身は、固定の宗教を信仰する立場にはありません。)

仏教には大きく分けて二つの流れがあります。

・一つ目は、釈迦が目指した(説いた)とされることを忠実に
 守ろうとする流れ(一般的には 上座部仏教 と言われる)。

・二つ目は、原始仏教が変わっていき、より多くの人が救われる
 ようになるために確立された 大乗仏教 と言われる流れ。


です。

前者の考え方は基本が「自力」であり、修行して自己鍛錬を
積むことにより目覚める(悟る)ことを目指します。

後者は仏や菩薩などを敬い、それらを信仰したり念仏を唱える
ことによって救われるというもの。ゆえに、こちらを信じるものは
基本「他力(他力本願)」であると言えます。

日本における仏教とは、大乗仏教がほとんどです。
なので、一番多くの檀家が存在すると言われる 浄土真宗 などは、
阿弥陀如来(阿弥陀仏) を最高の位置ととらえてそれを信仰し、
「南無阿弥陀仏」と唱えることで極楽浄土に成仏することを
目指します。


私自身の生き方は「自力」でありますが、「他力」を選択する方法も
否定する立場にはありません。

ただ私は、自分の生き方や「死」について何かに身を委ねるという
ことはしないようにしています。

何故なら、

『自分の進むべき「道」は、自分自身で決めていきたい』

からです。


そして、ここが大事なところですが、自分が自己鍛錬を積み
自分の「道」を進める時に必要なのはこれだと考えています。

それは、

『中道』

です。

簡単に言いますと、「何事も両極端は避ける」ということになります。

つまり、「こうでなければいけない」という考え方をせずに
程よい状態のなかで自己鍛錬を積みたいのであります。



「自力」と言うとかなりストイックな感じを受けますが、基本は「自力」
でありながらも 「中道」 の状態を保ちながら人生を進めたい。

私はそのように考えている次第です。



≪今回のクワばな≫
下記のオオクワガタの幼虫が、早期に蛹化しました。

Absolute(アブソルート)血統 オオクワガタ

アブソルート血統(蛹)

早期での蛹化ですから、体長はたいしたことはありません。
おそらく、70㎜を少し超えたぐらいで羽化することでしょう。

問題は顎の太さですが、まずまずの太さはあるように思えます。
羽化まではあと1週間ぐらいですが、完品で良い個体であることを
願います。


≪今回の1曲≫
スティング で、『 Shape Of My Heart 』 です。





今回は以上です。 閲覧ありがとうございました。
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No title

そうだね
出来るだけ自力でいきたい

それを力まずにしていれば
自分の生きタイ方向性が見える

心の緩みを大切に
ガチガチにならないようにして日々をすごしたいものです^^

RE:♪デコ♪さんへ

♪デコ♪さん、こんにちは。

そうですよね。できるものなら、自力で生きていきたいものです。

そして、力まないで「こうでなければいけない」という極論にも
走らず、中道の状態でありたいものです。

心の緩みにも気を付けなければいけませんよね。
欲望に溺れることなく、自然体で私も過ごしていきたいと考えています。

コメントありがとうございました。

No title

こんにちは。

「中道」たしか、仏陀の教えもそうでしたよね。
張り過ぎた弦は切れるし、緩すぎる弦は使えない、中ほどの張りが良いって何かの本で読んだ気がします。
その考え方は自分もよく思うことです。
ただ、自分の考えはやる時はとことんやる、休む時は休むと考えて±0になる様に過ごしたいと思っています。
ですが、現実的にはプラスが圧倒的に多く、弦が張り詰めた状態が続いています。
多分、弦が切れた時に気分の落ち込みになると感じています。
その為、「中道」は自分も目指している考え方です。

RE:おっさんさんへ

おっさんさん、こんにちは。

おっしゃる通りです。仏陀は最初、かなりの苦行を行って
修行をしていました。しかし、それではいけないと気付いたのです。
そして、丁度いい「中道」の状態で修行をし直して悟りを得ました。

張り詰めた弦(心)では、切れて(折れて)しまいます。
かといって、緩みすぎるのでは何も成し遂げられません。

そうですね。やはりうまく生きていくにはメリハリが大切だと思います。
でも、なかなかそううまくはいかないのですよね。

「いい加減くらいが丁度いい」
私も、「中道」の状態を保ちながら過ごしていきたいと考えています。

コメントありがとうございました。

僭越ながら

テツさん、今日はです。

僭越ではありますが、浄土教において、
他力本願とは、自己研鑽(自力)を否定してはおりません。

自力他力を問わず、
身を慎み自己研鑽することは、仏教の基本です。

しかし煩悩具足の我々凡夫が、至らないところを仏様の本願に縋る。
(やり遂げられない所を助けてもらう。)

つまり凡夫であっても、仏様を信じて付いて行けば自ずと救われる教え、それが他力であります。

又自力であっても、「南無仏陀」これが抜けたら魔道です。

禅僧が浅い悟りの為、仏様への信仰が抜け陥る魔道が、野狐禅と聞きます。

テツさんにとって、新しい年が良い年でありますように。

No title

おはようございます。
私は基本の気持ちは他力ですが、生き方や死を何かに委ねると言うのともまた違います。自分の考えている理想の生き方や長生きすることにつながる事には努力したい、日々精進するべきだと思っています。人事を尽くしておいてあとは天に任せる気持ちです。
「中道」、「程」、なにごともこの言葉を忘れて極端居士で突き進むと物事はスムーズに行かないのではないでしょうか。

今は自力いずれは他力?

本来、自力で生きたいと思いつつも死が近づくと他力になり、仏にすがるのかなと思います。
日頃より精進し、どの方向へ進んでいけば良いのか?
見極めたいと思います。

この段階で見るに素人目ですがずいぶんと顎が立派なようですが、違うのでしょうか?
立派な成虫になると良いですね。

RE:豆大福さんへ

豆大福さん、おはようございます。

宗教などの解釈はたくさんの説があり、どの説を信じるかは
人それぞれなのでしょう。そして、自分の解釈だけが正しい。
そういうスタンスでは、一神教の悪い部分を真似ているだけ
であり、やはり他の説も認めるということが大切なのだと考え
ます。
なので、豆大福さんの説も真摯に受け止めようと思います。

おっしゃる通りで、自力他力は関係なく身を慎み自己研鑽する
ことは、仏教の基本ですね。仏教は宗教であり哲学でもあると
考えています。現世での生き方を教えてくれるとともに、他人を
思いやる気持ち(利他の精神)を積んでいかなければいけない
と思う次第です。

仏教徒においては、たとえ自力で目覚め(悟り)を目指そうとも
仏を信じる心は必要です。そこの部分を忘れてしまっては、
いつまでたっても目覚めることはないのでしょう。

もう11月も半ばを過ぎました。豆大福さんも良い1年を締め
くくり、良い新年を迎えられますように。

コメントありがとうございました。

RE:massanさんへ

massanさん、おはようございます。

「自力か。それとも他力か」
そういうことを題材にしましたが、本当のところは中道の状態
を保ち自力もあるし他力もある。そういう融通性が必要なの
でしょう。

massanさんがおっしゃられる「人事を尽くして天命を待つ」。
これも、自力の部分と他力の部分が融合している考え方
かと思います。

なにごとも極端な思考に突き進まず、中道の状態を保って
バランス良く生きていきたいと思う次第です。

コメントありがとうございました。

RE:ブーちゃんさんへ

ブーちゃんさん、おはようございます。

人が死に近づいた時にどう思うか?それは、永遠のテーマ
でしょう。自分はそれで自力でありたいと思いますが、何かに
身を委ねることもあると思います。でも、それもありではないか
と考えています。

日々精進して人格を高めていく。それは、人としてとても大切
なことであります。

どうなのでしょう。極太ではあると思いますが超がつくほどでは
ない気がします。まずは完品で、きちんと羽化してくれることを
願うばかりです。

コメントありがとうございました。
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