【 自由の使い方 】

~今回もブログにアクセスいただき、ありがとうございます~


※私の考えとしては、「善(人)」と「悪(人)」を明確に区別しません。
  しかし、この記事にでてくる「善」と「悪」は、一般的(一般常識的)
  にそう言われていることを指します。



よく人間の本性とは?ということで、「性善説」と「性悪説」に関する
議論がかわされます。

いわゆる、「人間は生まれながらにして善であるか悪であるか」
という疑問に対しての問いのことです。

私、以前は性善説を支持していましたが、最近どうもそうではない
のではないか?と思い始めてきました。

要するに、「人は善でも悪でもない」と考え出してきたのです。


その理由は何かと言いますと、

『善と悪を分岐するのは、自由の使い方が大きく関係しているから』

と思うからです。

肉体をもってこの世に生まれてきた人間は、欲望(煩悩)を授かると
ともに、原則自由を手に入れています。

一般的に悪人といわれる人間は、この欲望を利己的に広げ、
自分だけが与えられた自由を謳歌しようとする人のことをいいます。

こういう他人のことを何も考えない人は、自分が意識しないでも
自然に良くない行いをなすことが多いです。

しかし、一般的に善人といわれる人間は、「自由を謳歌すると
とんでもないことになる」ということを知っており、自分で欲望を
抑制します。

つまり、人が善人になるか悪人になるかは、自由という権利を
どう使うかによって決まってくると私は思うのです。




話は変わります。

最近、子供(未成年者)による凶悪犯罪が増えています。

その原因はどこにあるのか。

私は、彼らに「自由を与えすぎているから」だと考えています。

最近の教育の場では、

『自由が大事だ。子供の自主性を尊重するべきである』

という方針のもとで子供の教育が行われています。

そういう教育方針のもと、子供たちは幼少期から自由に、
勝手気ままに育っていってしまいます。


そうすると、物心がついた頃には、

『自分の欲望を抑制できなくなる』

という子供たちが増えてしまうのです。

ゆえに、必然として子供の凶悪犯罪が起きてしまうのだと
私は思うのです。



「自由であること」、確かに大事なことです。しかし、「自由すぎる」のも
問題なのであります。

人は自由でありながらも、それを上手に使用して、ある時は抑制する
ということも大事だと思う次第です。





≪今回の1曲≫
ニュー・オーダー で、『 True Faith 』 です。

ニュー・オーダー

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今回は以上です。 閲覧ありがとうございました。
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確かに自由になりすぎています。
又、今の親はうちの子に限ってという考えがあり、子供を叱らなくなっているために事の善悪がわからなくなりすぎているのだと思います。
昔のように見ず知らずの子供でも、悪い事は悪いと叱らなければなりません。
もっと人それぞれがしっかりと世間を見つめていなくてはいけませんね。

RE:ブーちゃんさんへ

ブーちゃんさん、こんばんは。

物心がついていない幼少期に、「個」を尊重して自由奔放に
育ててはいけないと思います。

それよりも、多少生き方の不自由さや他人との協調性を教える
ことのほうが、私は大切だと考えます。

そうして、自由とはなんなのか、他人とコミュニケーションを
とるにはどうしたよいのか。そういうことを学んだうえで、
個人のオリジナリティというのが生まれてくるのではないでしょうか。

当然私は知りませんが、戦前の日本では子供が良くない言動を
すると、近所の大人たちが叱ったといいます。
しかし、今はそのようなことはありえませんね。

おっしゃられるように、もっと人それぞれが自分のことだけでなく、
他人のことを思いやり、見つめていかねばならないのでしょう。

コメントありがとうございました。

No title

人は、善にも悪にもなりますね。
自分も一応、規範に沿って行動してきたと
思いますが、何かのきっかけで悪そのものに
なるかもしれません。

RE:nobu さんへ

nobu さん、こんばんは。

人は、相当人格を高めないとすぐに欲望に負け、悪の道へと
進み始めてしまいますよね。

おっしゃられるように、きちんとした規範に則って行動している
うちはいいですが、レールから外れ出すと止まらなくなって
しまいます。

きちんとした判断能力を持ち、自己抑制できる精神をつくらねば
いけない、と私自身思っております(とても難しいことですが)。

コメントありがとうございました。

No title

うめぞーさんねおはようございます。

涼しさを通り越して朝は少し寒いくらいです。


そうですね、先ず今の子供達は物心両面で「与えられ過ぎ」です。
なので、結果何かあると 我慢が出来ずに自分自身を抑制できないのだと思います。

前にもお話ししたかと思いますが、学校の教師が生徒・児童に対して「~さん」と呼んでいること自体間違っています。
これでは上下関係も理解できないでしょう。

「怖い大人」が周りにいません。
親が怒っても、「虐待」とか言いますから、言葉が適当でないかもしれませんが「野放し状態」です。

なので今の子供達は叱られることに慣れておらず、些細な事でも注意されるとキレてしまい、子供同士のケンカもした事が無いですから相手の痛みもわからず大事になってから自分のしたことに気が付くのでは。



私も偉そうなことは言えないんですけどね(笑)。

長文失礼しました。

RE:ひゃくしょうさんへ

ひゃくしょうさん、おはようございます。

ほんと寒いです。昨日あまりにも寒かったので、ヨットパーカー
を着だしました。

子供の頃の教育は、正しい心を育てるためにもとても大切であります。
その時期に物心両面で「与えられ過ぎ」を覚えてしまうと、欲求が
すべて満足できてしまうため、自己抑制のきかない人間になって
しまいます。

以前におっしゃられてましたね。確か今は、男の子にも「さん」づけ
で先生が呼ぶのではなかったでしょうか。
正しい心づくりには自己抑制を育てるだけでなく、大人たちと正しく
触れ合い、上下関係を覚えさすことも大切です。

国が先進国化するとよくないことが起こることが多いですが、
今の日本は「個」を大切にするあまり、「叱ること」と「虐待すること」
を同じにしてしまっている気がします。

「個性を育てましょう」とか「自主性を尊重しましょう」などというのは、
高校生以上でいいと思います。小~中学生の間は一般常識を教え、
「やっていいこと」と「やってはいけないこと」を子供たちに
きっちり教えることが重要だと私は考えます。

そういうことを教えていないから、「我慢すること」や「仲間を
いじめない」など、人間としての最低限なことができないように
なっていってるのではないでしょうか。


私は、一番大事なことを学ばずに成人になりました。なので、社会
に出てから散々苦労したくちです。
「小さい頃に教わっていたらな~」とつくづく思う次第です。

コメントありがとうございました。
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